別府の記憶写真集まとめ

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2022年11月24日木曜日

別府の記憶写真集№5 樋井川

別府校区の東を流れるのが樋井川です。

樋井川の思い出




昭和26年3月 草ケ江小学校横樋井川土手にて
写真提供 藤村尚樹様より


昭和38年6月30日 
   樋井川にかかる筑肥線鉄橋を六本松より見る

写真提供 高木正敏様より



昭和38年6月30日
別府橋を上流から見る
写真提供 高木正敏様より





撮影年月日不詳
樋井川の清掃作業
後方は別府団地




平成24年9月
汐留があったころの樋井川
写真提供 三角隆義様より



平成25年3月
樋井川浚渫(しゅんせつ)工事
写真提供 菊川國男様より

昔の樋井川は子どもたちの絶好の遊び場だった。
今みたいに遊びが数々あるわけでもなく、遊びの場所は自然であったのでいろいろ工夫して遊んだものである。

川であるから遊びの相手は魚たちである。釣る、”てぼ”で捕まえる、”しょうけ”ですくうなどいろんな方法があった。
井堰(いで)がいくつか設けられていて、そのまわりでは水泳や泳げない子も水遊びができた。
今は護岸がしっかり整備され、容易には立ち入られない状況になっている。

昔の樋井川の様子は こちら↓をクリックしてください
別府の歴史見聞録  に詳細が掲載されています。


 

2022年10月1日土曜日

城南市民カレッジ歴史講座開催

令和4年9月30日(金)10時~12時

講師は福岡大学人文学部文化学科 藤村健一准教授

 

江戸後期から現代までの福岡城下町の景観変化〜絵図と地形図を用いて〜





歴史地理学の観点から福岡城下の景観変化を明らかにして頂きました。

 

城下町は現在の地形ではどの辺りまで広がっていたのか、今はない紺屋町堀や肥前堀、薬院新川はどこにあったのかなど。

歴史地理学の面白さを身近な場所を知ることから実感できました。

 

次回はいよいよ別府周辺の地形を新旧地形図を比較しながら景観変化をみていきます。

 1029日(土)14時〜16時開催です。


 

2022年9月1日木曜日

城南市民カレッジ「歴史講座」

令和4年8月30日(火)10時~12時

古代の樋井川河口と古鳥飼湾

講師は福岡大学人文学科歴史学科 桃﨑祐輔教授


福岡城址周辺の樋井川河口と鳥飼湾のかっての様子を主題に福岡周辺、ひいては北部九州の古墳の様子の話を伺いました。

古墳は作りや埋葬品からどういう人物が埋葬されたのか、築かれた年代がいつ頃なのかがわかるそうです。鴻臚館が海外との交流に重要な役割を果たしていた時代、古鳥飼湾を望む古墳群が存在していました。樋井川河口近くの西新町遺跡からは朝鮮半島の土器が多数見つかり当時3・4世紀最大の国際交易港として栄えていました。そして福岡城址周辺には調査が尽くされていない「警固茶臼山古墳」「警固丸山古墳」などが存在しています。調査が進めば新事実が出てくることが期待されます。古墳一つから多くの歴史を学べることを改めて教えていただきました。




YouTubeでの配信でも2週間視聴できます。

 

2022年2月22日火曜日

別府の記憶写真集No.3 福豊炭坑

明治初期から始まった石炭採掘業は昭和30年中頃までは我が国のエネルギー源を支える重要な産業であり、福岡市内にも炭坑が点在していました。

三戸鉱業福豊炭坑は、田島2丁目界隈に1949(昭和24)年4月~1958(昭和33)年7月まで操業していました。





採掘の従業者は多いときには600人にも及んだといいます。

出炭量は月産約6000トンもあり、九州各地はもとより、関西、四国、名古屋にも出荷されていました。




👀 思い出話
★近所に住んでいた中学生のHさんは、福豊炭坑へ行きリヤカーで石炭を積んで近所に配達するアルバイトをしたそうです。

★従業員のための炭鉱住宅もあり、そばには従業員用の公衆浴場や購買部があったそうです。




炭鉱での運動会の様子






エネルギー環境の変化により石炭の需要が減って採掘をやめて廃坑となり、石炭整備事業団へ売却されました。

 写真提供 三戸美雪様より


福豊炭坑についてはこちらにも ↓ に記載しています。 









2022年2月7日月曜日

城南市民カレッジ  別府校区の歴史を知ろう第3回目

令和4年2月5日(土)10:00~12:00


テーマ 別府遺跡の弥生土器

 

講師は福岡大学大学院生の前﨑智行さん

 



別府で昭和61年に行われた遺構調査では、弥生時代中期後半の物と比定される土器が多数出土したそうです。

 

2000年前の別府はどんな場所だったのか、前﨑さんの話はとても興味を惹かれるものでした。

 



周辺の田島遺跡から飯倉遺跡群への移行期間に存在していた別府の集落で人々が用いていた土器についても詳しく伺う事ができました。たくさんの質問にも丁寧に答えてもらえたので、みなさんの理解も深まりました。
住宅密集地になってしまった別府ですが、地下にはまだまだたくさんの遺物が潜んでいるのかもわかりませんね。興味が湧くところです。

 

2022年2月3日木曜日

別府の記憶写真集No.2 別府公民館新築

1976(昭和51)年にモルタル2階建ての2代目別府公民館が完成しました。

 

正面の槙の木は今でも玄関前に残っています。


公民館北側はレンコン畑だったそうですが、このころには空き地になっていました。


1978(昭和53)年 講堂にて 子ども映画会
この時使用していた映写機はいまだに公民館倉庫にあります。



2階和室にて 紙人形サークルの活動


2階学習室にて 染色創花サークルの活動





1984(昭和59)年 講堂にて 健康相談会

1984(昭和59)年別府公民館は創立20周年をむかえ、記念誌を作成しました。

創立20周年記念誌はこちらでみることができます。
クリック⇒  20周年記念誌


20周年式典でのパネル展示

平成11年、現在の150坪館にするための改築工事が始まりました。


改築中、公民館は別府小学校の中庭に移転していました。


子ども達の賑やかな声に囲まれた地域の人達の学びの場もいいものでした。













2022年2月1日火曜日

城南市民カレッジ 別府校区の歴史を学ぶ

令和4年1月31日(月)10:00~11:30


テーマ 長屋王家出土木簡と古代宗像

講師は福岡大学人文学部歴史学科の西依由香里さん

奈良時代はじめの権力者長屋王宗像とのつながりを出土した木簡を中心にした研究の成果を発表してもらいました。

長屋王の邸宅跡から出土した数多くの木簡群は「長屋王家出土木簡」と称され、貢進物の荷札木簡も見つかっている。その中には宗像と深いつながりを示す3枚の木簡が含まれている。大和政権は中国との交易のため玄界灘の航路を盛んに利用していたところ、この地域の制海権を持つ宗像勢力の影響を受けていた。宗像と大和が密接な関係にあったということの証左になるのであろう。



 講師が用意された資料を読み解くと古代史はなかなか面白いということを改めて実感しました。


第3回目(最終回)はテーマ「別府遺跡の弥生土器」
令和4年2月5日(土)10:00~12:00

2022年1月25日火曜日

別府の記憶写真集No.1 別府公民館の始まり

公民館は地域の博物館

公民館では周年行事などをきっかけに昔の写真データを収集してきました。

今年からその写真を死蔵させないためにもブログ上に公開していきます。


スタートは別府公民館 

別府公民館は1932(昭和7)年に建設された別府公会堂を転用して1964(昭和39)年7月誕生しました。



1964(昭和39)年別府公会堂解散式
(別府公民館開設に伴い)





公民館で活動していた少年柔道教室


初代公民館の横には1976(昭和51)年2代目公民館ができるまで管理人棟がありました。
1970(昭和45)年~1992(平成4)年に5代目の管理人を勤めた吉田文子さん




昭和50年公会堂は取り壊され、2代目公民館の建設が始まりました。

















2022年1月24日月曜日

別府校区の歴史を学ぶ

令和4年1月22日(土)10:00~11:30

 城南市民カレッジ 歴史入門講座 福岡大学・城南区役所連携事業

3回シリーズで別府の歴史を学びます

初回の講師は福岡大学人文学部3年生の永山亮さん。桃崎先生のゼミ生です。



 YouTubeでの配信も行われました。


 

今日のテーマは 別府遺跡の旧石器

 旧石器時代とは約38千年前から16千年前までの人類が石器を使っていた頃の事です。

その頃の遺跡が別府にあった事すら初めて知りました。



 

別府遺跡ではサヌカイトを使用した縦長剥片などが出土したそうです。

 




 

石の特徴を活かして道具を作っていた遥か昔のヒトの知恵を想像するだけでも、人類の歴史の壮大さを感じます。

 2回目が楽しみです。テーマ「長屋王家木簡と古代の宗像」

 


 


 

2021年2月15日月曜日

城南市民カレッジ歴史講座(別府公民館版)


2月13日(土)10:00~12:00

 聖一国師が開いた海蔵寺の探索

講師は桃﨑祐輔先生(福岡大学人文学部歴史学科教授)

 海蔵寺については『筑前国続風土記拾遺』巻之43鳥飼村の項に記載されています。
「本村町方に在。龍宮山と号す。禪宗済承天寺の末寺なり。開山は聖一國なり。建立の年代詳ならず。はじめは枝郷別府にあり。(其辺に東蓮寺といふ寺址もあり)寺内に大日堂あり。」




由緒をたどれば「海蔵寺」は、当初は「別府」にあったことがわかります。
開祖は「聖一国師」とされているが、本当は開山僧自身は二世となり、自分の師匠を名誉開山としたのではとのこと。勧請開山と称されているそうです。

前述に「東蓮寺といふ寺址」という記述があり、興味を惹かれるものがあります。別府公民館内で東蓮寺の存在について検証を重ねていました。この後の展開の指針になればと思っています。


会場20名とZoomでの参加者7名がじっくりお話を伺いました。


別府周辺の歴史素材にも数多く触れてもらい知識を深めました。

城南校区の茶山会館敷地にある「薩摩塔」は石の様子から中国からもたらされたもの。
鳥飼二郎船頭を名乗る中国宋出身の商人張英にまつわる話。
鳥飼八幡宮の変遷。
箱崎八幡宮やそこに隣接する恵光院の話。

多彩な項目の中から更に深く知りたいと感じたものもあり、貴重な時間を得ることができたと思います。

2018年8月8日水曜日

「あの日と別府」作文募集

あなたの別府でのエピソードを
文章に綴ってください。


あなたが経験した事の記憶。
それ自体は個人のささやかなものでも、たくさん集まれば町の記憶を形作ることができます。別府で過ごした日々の事、懐かしのエピソードから最近の出来事まで、どんなことでもOKです。たくさんの思い出を是非お寄せください。

【募集要項】
○文字数は問いません。内容ごとに短い文章をたくさんでも、長文でも構いません。ご自由にお書きください。
○写真にエピソードを付ける形式もOKです。その際、写真とともにご提出ください。
○作文の提出は、アナログ(原稿用紙等)、データ(word形式等)のどちらでも可能です。直接お持ちいただくか、メールアドレスへお送りください。
○ご提出いただいた作文は別府公民館で文集として冊子に掲載させていただきます。
第一次締め切り 12月28日





2017年11月24日金曜日

伝えたい別府の記憶展に展示した年表(ロビー)と航空写真(階段踊り場)を12月末まで掲示しています

別府の記憶年表

別府にまつわる出来事と住民の記憶を合わせて年表にしました
「天神から別府までのタクシー代金が350円だった」
「子どもの頃あちこちにあった水路によく落ち込んでいた」
「洪水で水が引いた後、大きな真鯉が道路に横たわっていて、鯉こくにできないかな?と思った」など

「へぇ~」と思える記憶が並んでいます

昭和23年・昭和36年・昭和59年の校区の航空写真


 今から35年前から70年前の様子まで校区の姿が一目瞭然

開館中はいつでも見ることができます




2017年11月2日木曜日

公民館文化祭2017 ご来場ありがとうございました

平成29年10月28日(土)・29日(日)開催

台風、来ないでよ!
という皆さんの願いが通じて、なんとか直撃は免れたものの、
今年の文化祭はあいにくの雨に見舞われました。

しかし、館内は1日目の「伝えたい別府の記憶~写真展」から熱気むんむん✌
別府のまちの移り変わりの様子が一目瞭然の写真展は大人気☆☆
「えー、あそこのローソンのとこって50年前は田んぼ?」
「ウチの辺りは、おお!炭鉱か~」
など、驚きの声が。
別府の昔についてもっと知りたくなったでしょ?

と思っていた方にうってつけの、こんなトークイベントもあったんですよ。
題して『別府の記憶をたどる~炭鉱・団地・商店街』
ご出演は、福岡大学の福岡・東アジア・地域共生研究所研究員の
山田雄三先生と藤野ゆかりさんがメインゲストです。
それに小森館長と中村主事が加わってトークを繰り広げました。
驚きのシーンも出現。スクリーンの写真を見ていた30代の女性「あの顔はうちのおじいちゃんです」
他にも写真の関係者が参加されていて貴重なお話を聞くことができました。

1日目











2日目