1970(昭和45)年7月30日完成
別府大橋建設のきっかけは、国道202号線と旧国鉄筑肥線が交差する踏切があったために交通渋滞が激しくその解消をはかろうとしたもの。
その目論見があったものの、202号線の交通量がさらに増え、別府橋交差点での渋滞に拍車をかけたことが資料からうかがえます。
1983(昭和58)年筑肥線が廃止された後は道路として整備されましたが、別府大橋は別府のシンボルの一つです。
別府大橋は、昨年で最終回を迎えた福岡国際マラソンのコースで最大の高低差がある難所として知られ、別府を離れた人たちはテレビの放送を見ながら懐かしく思ったとの話も伝わってきます。
別府大橋ができる前の202号線
これが別府? 信じられない!